2009年05月20日
はじまります。
明日から裁判員制度がスタートします。
市民が刑事裁判に参加し、裁判官とともに無罪・有罪、量刑を定める制度。
この裁判員をどのようにして選ばれるのかといいますと選挙人名簿登録者の中から選ばれるのです。
詳しい内容>>>
新しい制度が始まるのですが、選ばれた裁判員のみなさんはどう判断をされるんのしょうか?
法務省HPより
裁判員制度広報用パンフレット等について
市民が刑事裁判に参加し、裁判官とともに無罪・有罪、量刑を定める制度。
この裁判員をどのようにして選ばれるのかといいますと選挙人名簿登録者の中から選ばれるのです。
詳しい内容>>>
新しい制度が始まるのですが、選ばれた裁判員のみなさんはどう判断をされるんのしょうか?
法務省HPより
裁判員制度広報用パンフレット等について
2009年05月20日
わたしのまち ~6~
嬉野市役所
今日は、「嬉野市役所前」を紹介します。
嬉野市役所
合併する前は、旧塩田町役場でした。この建物は、今から16年前に完成しました。
地上4階、地下は、職員の駐車場です。
国道のバイパス化で立ち退き、昭和33年に完成した庁舎の老朽化に伴い現地に移転。
写真1
市役所前の交差点です。
写真2
写真1・2 この道路ができる前、大雨になるとここ周辺は、よく床上浸水で浸かってました。
建物の2階まで水がきていました。
道路が新しくできて、高くなったのでここ19年以来は浸かりません。
(上の写真)
市役所入口の看板を右に曲がってからすぐ上にのぼると、ちょうど写真を撮っているところへ。そして、その手前から下にくだると駐車場(ちょうど、右側フェンスの下)
16年前、旧庁舎がちょうどバスが停まっているところにありました。
旧庁舎は、ちょうどフェンスのところまでありました。
2009年05月20日
わたしのまち ~5~
「塩田津」

嬉野市役所前交差点の北側 (下の写真の左側にあります。)


塩田津の歴史 こちらへ http://shiotatsu.web.fc2.com/shiota/shokunin/shiota/
写真でご案内します。

ここは、旧県道です。 今は、新しい道路(下の写真)が出来たのでそこを通っています。
現在は国道498号線です。
普段は、この道路地元の人がほとんど走っているようです。


ここは、商店街ですけど最近は大型店舗などが出来たために店舗数が大幅に減っています。
昔は、結構にぎやかでした。


ここは、塩田の町並みです。
左側の建物は、国指定重要文化財西岡家住宅。
解説は、こちらへ (嬉野市のホームページ内より)http://www.city.ureshino.lg.jp/414.htm
長崎街道の解説
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E5%B4%8E%E8%A1%97%E9%81%93
(ネット ウィキペディアフリー百科事典より)
塩田津の解説 http://www.k2.dion.ne.jp/~kisa/saga/saga_k28.html
(ネット 九州絶佳選より)

西岡家住宅の裏
その向かい側の景色

右側が国道です。

左側は国道です。
塩田津は、有明海の 干潟を利用して、船による物流が盛んに行われていました。天草からの陶石の運搬をはじめ、様々な物資がこの港から運ばれ、塩田の商業を栄えさせました。この港は塩田の要所であり、ここから生活のすべてが始まっていったのです。
嬉野市ホームページより

嬉野市役所前交差点の北側 (下の写真の左側にあります。)


塩田津の歴史 こちらへ http://shiotatsu.web.fc2.com/shiota/shokunin/shiota/
写真でご案内します。

ここは、旧県道です。 今は、新しい道路(下の写真)が出来たのでそこを通っています。
現在は国道498号線です。
普段は、この道路地元の人がほとんど走っているようです。


ここは、商店街ですけど最近は大型店舗などが出来たために店舗数が大幅に減っています。
昔は、結構にぎやかでした。


ここは、塩田の町並みです。
左側の建物は、国指定重要文化財西岡家住宅。
解説は、こちらへ (嬉野市のホームページ内より)http://www.city.ureshino.lg.jp/414.htm
長崎街道の解説
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E5%B4%8E%E8%A1%97%E9%81%93
(ネット ウィキペディアフリー百科事典より)
塩田津の解説 http://www.k2.dion.ne.jp/~kisa/saga/saga_k28.html
(ネット 九州絶佳選より)

西岡家住宅の裏
その向かい側の景色

右側が国道です。

左側は国道です。
塩田津は、有明海の 干潟を利用して、船による物流が盛んに行われていました。天草からの陶石の運搬をはじめ、様々な物資がこの港から運ばれ、塩田の商業を栄えさせました。この港は塩田の要所であり、ここから生活のすべてが始まっていったのです。
嬉野市ホームページより