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Posted by おてもやん at

2009年05月19日

わたしのまち ~4~

■茶畑
 
全国有数の生産量を誇る茶どころ嬉野。霧深い山々に囲まれた盆地で、澄んだ空気と清らかな水に恵まれたこの地は、お茶栽培にとても適しています。

嬉野茶(うれしのちゃ)は、佐賀県嬉野市一帯で生産される日本茶室町時代ごろから生産が始まったとされる。釜煎りにより加熱し、発酵を停止させる「釜煎り茶」で知られるが、他の日本茶と同様に蒸すことで加熱するものが主流である。中国緑茶に似ている。茶葉は丸く、香りも強い。特徴的な茶ともいえる。




 

嬉野茶種類>>>

知って得する嬉野茶>>>


うれしの茶の特徴・釜炒り茶発祥の地
 「釜炒り茶」発祥の地とされる嬉野町は、明(現在の中国)から焼き物の文化とともにもたらされたとされ、約500年前の1504年に陶工(陶磁器の製造をする人。陶芸氏)である紅令民が明から釜を持ち込み、南京釜による炒葉製茶法を伝えたことが、嬉野式の釜炒り茶の始まりとされています。 お茶の効能・成分>>>

おいしいお茶の入り方>>>

品質にこだわる嬉野茶

① 嬉野茶の歴史
② 嬉野茶ができるまで
③ お茶に優しい環境

おいしいお茶が飲めます日本茶
  


Posted by けん at 23:35Comments(0)地域

2009年05月19日

わたしのまち ~3~

■藤棚  (ふじたな)
 

嬉野インターを降りて左折、みゆき公園へ向かう県道沿いにあり、直線距離では日本一の約630
ゴールデンウィーク前後が見ごろです。

 

案内図 (D-4) http://kankou.spa-u.net/midokoro/index.html
  


Posted by けん at 22:46Comments(0)地域

2009年05月19日

わたしのまち ~2~

百年桜 (ひゅくねんざくら)


案内図>>> (A-2)




県道41号線にある鳥越トンネルを鹿島方面から嬉野方面へと抜けた
器楽里の近くの小高い丘に通称「百年桜」と呼ばれる山桜の木があります。
誰がいつごろ植えたのか定かではありませんが、樹高13を誇り、茶畑と桜のコントラストは見事!
満開のころにはカメラマンや見物客が多く訪れます。

[所在地]嬉野町大字吉田 納戸料

  

  


Posted by けん at 22:13Comments(0)地域

2009年05月19日

わたしのまち ~1~

こんばんは。

今日からわたしの町を題としてブログを書きたいと思いますメモ

今日は、私が住んでいます町を紹介します。

 塩田町の中心街を見る。



佐賀県嬉野市(うれしのし)は、佐賀県西部の市であります。嬉野温泉で知られています。
H18に藤津郡塩田町と嬉野町が合併して、佐賀県で番目の市として誕生しました。



人口 29,097人 (H21.3.31現在)
面積126.51



歴史 本

1889年4月1日 町村制度施行により、現在の市域にあたる以下の村が発足。
藤津郡西嬉野村・東嬉野村・吉田村・塩田村・久間村・五町田村

1918年10月5日【町制施行】塩田村→塩田町
1929年4月22日【町制施行】西嬉野村→嬉野町
1933年4月1日 【新設合併】嬉野町・東嬉野村→嬉野町
1955年4月1日 【新設合併】嬉野町・吉田村→嬉野町
1956年9月1日【編入】久間村・五町田村→塩田町へ
2006【新設合併・市制施行】嬉野町・塩田町嬉野市

塩田川と唐泉山


唐泉山(とうせんざん)
唐泉山(標高409.8m佐賀県の南西部に位置し、見事な円錐形から『肥前小富士』と呼ばれています。



西方の美野山や、東方の籾岳から観音谷や石垣、三ケ崎山、下童に到る山塊は塩田町の南部山地を形成しています。
この山塊と向かい合う丹生山から常在寺山、久間地区の牛坂、中通にかけての山地は、塩田町のほぼ中央に位置します。
さらに、上久間堤の上虚空山(標高287.9mの寄生火山も含めて変質安山岩類の地質です。

この地からでる岩塊は、有色鉱物の緑泥化、斜長石の方解石化が顕著で緑色をおびていますが、岩石に粘性があり
昔から塩田石として石材に利用され、墓石や各種の彫刻を生み出した石材として知られています。

また、標高350m付近から頂上一帯は、佐賀県の天然記念物に指定されている
「椎の自然林」などの古木に覆われている照葉樹林です。さらに中腹は、生活環境保全林として山林公園を整備しており
親子などがそろって散策するには、絶好の山となっています。

唐泉山の伝説
山頂には、八天神社上宮がまつられています。昔むかし、1300年も前孝徳天皇の御代、日本中はひどい干ばつで
太陽がかがやき雨の兆しもありません。野も山も鳥やけものは勿論、人々も日照りにあえぎ苦しんでいました。



そこで天子様は国々のお社やお寺に雨乞いの祈願を命ぜられました。
塩田の名山唐泉山にも天子様の命をうけられたお坊さんの慧灌さんが登られ
山頂で「どうぞ雨が降りますように」と神様、仏様にお参りをされました。
一日、二日と一心不乱にお参りをされること十七日、一天にわかに掻き曇ったと思うと雨が降り出し
草も木も鳥もけものも、まして人々はおどりあがってよろこび生気をとりもどしました。



慧灌さんは神様、仏様のおかげと喜び白稚四年(653年)山頂にお社を建てられ神様をまつられました。


次のブログも引き続きわたしの町を書きますメモ

  


Posted by けん at 21:42Comments(0)地域